子どものマスクと同調圧力――市民の陳情をめぐって

学校等での子どもたちのマスク着用をめぐる陳情が審査されています。

私は文教厚生委員会のメンバーではないので、議員室で放送を聞いているのですが、母親たちが課題と感じている現状認識と、教育指導課の答弁がどうもかみ合わない。
指導課長は、マスクの着用は強制ではなくあくまで推奨であって、非着用がいじめや差別につながらないよう様々な機会を通じて子どもたちに周知している、と説明。
一方で、陳情書には「マスク非着用によって先生や友達から注意を受ける場面も多く、一人だけ周囲と違った行動を取ることが簡単にできない状況」とあり、「学校からそうした報告は受けていない」との答弁とは完全にすれ違っていました。

1,105名の署名とともに提出された陳情書

学校側は、着用を一律には求めてこなかったと言います。
でも、場面場面での注意喚起や同調圧力などによって、マスクはすでに子どもたちの中で「着けなければいけないもの」になっており、自分の判断で「する」「しない」を選択できるような状況とは言い難い。
さらに、思春期を迎えた子の中には、マスクを外した顔を見られたくない、恥ずかしいと感じる子どもたちも増えており、「顔パンツ」という言葉さえ使われているそうです。
マスクが常態化してすでに3年目。事態はかなり深刻です。

厚労省は5月24日に、登下校や体育の授業、部活動などでマスクを外すよう通達を出しており、学校現場も子ども達に周知を徹底していくとのことですが、単なる周知だけではマスクを外すのをためらう子も多いのではないか。

猛暑にさしかかる今、各校は熱中症等のリスクをしっかり伝え、このタイミングで一斉にマスクを外す指導をすべきではないでしょうか。
集団生活の中で、マスクを外す場面をしっかりとつくる。
そのステップを踏まない限り、それぞれの子が自分の体調や場面に応じて、マスクの「する」「しない」を適切に選択するなど、難しいのではないかと感じます。

マスクの着脱には「子どもにも様々な考えがあり、どちらも尊重されるべき」と指導課長は答弁していました。
それはその通りなのですが、子どもたちの「考え」が、「他者の目」
や「感染不安」に規定されている側面にも、しっかりと目を向けるべきだと思います。

もう一つ。保育園ではマスクを外した保育が以前から行われていますが、そのせいで「濃厚接触」が頻発し、保護者からは「これ以上、仕事を休めない!」と悲鳴のような声が寄せられています。
濃厚接触者の定義も併せて見直さない限り、子どもたちがのびのびとマスクを外せる日は遠い――と思わざるを得ません。