表現の自由を守り切れるか――「表現の不自由展」中止を受けて
「表現の不自由展」中止の衝撃
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が、開催からわずか2日で中止に追い込まれました。以前、さいたま市の公民館で、憲法9条を唄った秀句が「公正中立の立場から好ましくない」とされ、公民館だよりへの掲載を不許可とした事件がありましたが、事態はこの時よりも明らかに悪くなっています。
異なる意見はすべて排除――社会の不寛容が広がっている
「表現の不自由展」とは、9条俳句のように、検閲や忖度(そんたく)によって展示の機会を奪われてしまった作品を集め、それらがなぜ展示不許可とされたのかを、理由とともに展示するという企画展でした。ところが、「慰安婦を表現した少女像」などの展示に対し、抗議の電話やメールが殺到。賛否ある作品をあえて展示することで、異なる主張を持つ人びとの公論形成を促す機会は、「ガソリンを散布します」などのテロまがいの脅迫行為にさらされ、損なわれてしまいました。「自分の考えと異なる主張は、絶対に受け入れられない」とする社会の不寛容がこれほどまでに広がっていることに、がく然とします。
叩くべき相手を間違えた政治家たち
なにより強い憤りを感じるのは、国家の意に沿わない表現は排除すべき、といった発言を、憲法を守るべき立場の政治家たちが、平然と口にしたこと。これっておかしくないですか? 憲法21条は、表現の自由を保障し、検閲を禁止しています。政治家がすべきことは、異なる主張を持つ者を叩くことではなく、テロや脅迫という問答無用の暴力から、国民と表現の自由を守ることのはずなのに、まったく逆転しています。
異なる言論の封殺と物言えぬ社会は、まさに戦争に通じる道。それぐらいの危機感を感じています。