社会教育行政を後退させてはならない――市の組織改正を受けて

長年、公民館を所管してきた西東京市「教育部社会教育課」が、組織改正に伴い「教育部地域学習推進課」に名称変更されることが決まりました。
時代のニーズにあわせた組織の見直しは必要であり、それ自体に異論はありません。
しかし、「社会教育」という名称が西東京市の教育行政から消えてしまうことで、社会教育自体が変容していく恐れはないのでしょうか?
生活者ネットワークが懸念する点を、3月議会の討論で述べました。
以下は、その記録です。少し長いですが、全て掲載します。
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「名は体を表す」という言葉の通り、物事の名称には、その性質や実相が如実に表れます。
名称変更とはすなわち、何らかの意図、目的のもとに、そのものの性質や実相を変えることにほかなりません。
社会教育とは、市民の自主性と自発性に基づく、極めて広い学びの概念です。
それを「地域学習の推進」という限定的なフレーズへ押し込めることで、社会教育そのものが矮小化していく恐れはないのか。
行政組織から「社会教育」という名称が消えることで、社会教育行政の果たすべき責務が曖昧化し、後退する懸念はないのでしょうか。

 

そもそも今回の組織改正は、国の動向に沿う形で行われることが、3月10日の文教厚生委員会の質疑で明らかとなっています。
かつての第二次世界大戦下で、当時の文部省社会教育局が教化局へと統合され、挙国一致、国家総動員の装置として使われた猛省から、終戦直後の昭和20年10月には文部省内に社会教育局が復活し、統制に拠らない自発的な学びとしての社会教育が再定義されました。
しかしその後、昭和63年に、社会教育局は生涯学習局(後の生涯学習政策局)へと再編され、社会教育は同局の一つの課として格下げされました。
さらに平成30年の文科省再編で、生涯学習政策局社会教育課は、総合教育政策局地域学習推進課となり、「社会教育」の名称は行政組織から消えました。国による巧妙な“社会教育外し”とも思える一連の教育再編と、今回の組織改正、名称変更とは地続きと言えます。

教育基本法第一二条には、「個人の要望や社会の要請にこたえ、社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によって奨励されなければならない」とあります。社会教育とは、個人や社会の要請、ニーズから生まれ出るものであり、国・自治体はそれを支え、励ます役割を担っています。
その実践は、西東京市では市内6つの公民館において、長きにわたり積み重ねられてきました。
まだ行政課題にものぼらないうちから、子どもの貧困や不登校、ひきこもり、またPFASや香害といった様々な社会課題に光を当て、市民が自発的に学び合い、地域活動を立ち上げるなどしてきました。そうした公民館における社会教育の営みを脇に置いた上で、国はなぜ「学校を核とする学び」を通じて「地域課題の解決」をするよう、私たち市民に押し付けてくるのでしょうか。
強い違和感を覚えます。

さらにこの間、文科省は、文化・社会教育施設に民間の知恵と資金を最大限に活用するとして、PPPやPFI、新たな官民連携によるコンセッションの導入を推奨しています。
導入に向けた財政措置も示されていることから、社会教育行政への民間参入に向けたインセンティブが、今後強まることも予想されます。
そうした流れの中で、西東京市の社会教育行政が、国に倣い名称変更をすることで、国の推し進める方向へと収斂されていくのではないかとの懸念はぬぐい切れません。

そのようなことが決して無いよう、社会教育における市民の自由な学びと、ボトムアップ型の地域づくりがこれまで以上に発展することを強く願い、生活者ネットワークの討論と致します。

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