ジェンダー平等から目を背けたままの「男女平等参画推進計画」を変えよう!
市のジェンダー平等が進まないのは、自民党政権の不作為?
なんと、西東京市の男女平等参画推進計画(第5次)には、「ジェンダー平等」どころか「ジェンダー」という言葉がひとことも使われていません。
え?ホントに? なにか政治的な不作為を感じませんか?
市議会の議事録を検索すると、第一次計画が策定された2004年前後に、当時の自民党議員が激しいジェンダーバッシングを繰り返していることがわかります。
たとえばこんな発言です。
✔ 過激なジェンダーフリー思想が、男らしさや女らしさを全否定している。
✔ 子どもを産む産まないを「本人の自由であるべきだ」などと言い、性と生殖の自己決定権を主張している。
✔ 夫婦の別姓制度を推進しようとしている。
✔ 家庭内暴力(DV)をことさら強調している。
✔ 専業主婦を否定し、家庭での育児を軽んじ、経済的な自立を推進しようとしている。
✔ 西東京市は、そうした過激な思想に巻き込まれないようにすべきだ。
それに対し、当時の担当職員が「ジェンダーはとりあえず脇に置いておきましょう」という答弁をしている記録が残っています。
ジェンダーバッシングが色濃い計画が、改定もされず残っている
今となっては時代錯誤も甚だしいやり取りですが、ゆゆしき問題なのは、この当時に策定された計画の「基本的考え方」が、それから20年近く経った今もまったく改定されず、そのままだということです。
(「西東京市 第5次男女平等参画推進計画」基本的考え方)
「この計画は、すべての男女を施策の対象と市、性別等により異なる扱いがされない社会をめざしています。一方、妊娠・出産に関する女性特有の機能について保護の対象とすることは、男女平等に反するものではない、社会として必要なことと考えます。また、この計画では、差別の結果生じている男女間の格差を改善するためには、必要な範囲において男女のいずれか一方に対して、参画の機会を積極的に提供する必要があると考えます。
女性である私も、女性であるがゆえの生きづらさを感じる瞬間はあります。
ただし、その生きづらさのほとんどは、生理があるとか、男より力が弱いなどといういわゆる生物学的性差に起因するものではなく、ほぼ社会的、文化的につくられた性差、すなわちジェンダーに依るものです。
いわゆる「男は女はこうあるべき」といった社会に現存する価値観や偏見に基づく性差が、女性の活躍を阻み、性的役割分業を強固なものにし、女性も男性も生き難くしている。
ましてやトランスジェンダーなど、多様な性を自分の内に感じている人は、なおさらでしょう。
そうしたジェンダーバイアスから目を背け、生物学的性差をことさら強調する、この「基本的考え方」を読んだとき、自分の中にメラメラと怒りの炎が燃え上がるのを感じました。
ありえーーん!!
あるべき男像・女像を押し付け、女性が自らの性や出産を自己決定することを許さず、夫婦別姓を拒否し、「DVだなんだと大げさなんだよ」と言い、育児は母親の仕事、女の経済的自立など必要ないなどという思想をバックボーンに持つこの「基本的考え方」を抜本的に変えなければ、私たちに未来は無い!と断言します(きっぱり)。
ぜったいにこの計画を変えなければ!!
ジェンダー平等社会の実現は、SDGsの基本目標5に定められた世界の潮流です。
いまこそジェンダーバッシングも、それを推し進めてきた自民党政治も変えよう!!