地域が変われば、社会は変わる!

「どうすれば自分たちの声が社会に届くのだろうか。」
「どのような言葉や知恵が、社会を変えていくための説得力をもつのだろうか。」
いま思うと、なんとも青くさいつぶやきです。
でも、若いころのわたしは、こんなことを結構本気で考えていました。
いまから30年以上前の小学生のころ、はじめて温暖化問題を知りました。
まだ「環境問題」「温暖化」などという言葉すら使われていなかった時代のことです。「わたしたちが石油を使いすぎたから、地球の温度がどんどん上がって
南極の氷が溶け出して大変なことになっているらしいよ。どうしよう」
友人が、高校生の姉から聞いたという話に、大きなショックを受けました。
地球の温度、南極の氷という、まるで手の届かないレベルの話と、
わたしたちのなにげない日常がつながっていたという事実。
小さな日々の積み重ねが、わたしたちの未来を脅かしつつあるということに、
ジリジリするような焦りを感じました。
チェルノブイリで原発事故が起きたとき、わたしは保谷高校の2年生でした。
「原発は危ない。絶対止めなきゃ」というわたしに、
「でも、電気がない暮らしには戻れないでしょ?」
「電気を使っておきながら反対するなんて、子どものやることだよ」
というクラスメイトの言葉がささりました。
思えばずいぶん幼いやり取りですが、「いまの自分には原発を止めるどころか、
隣にいる友人の心さえ動かせない」という事実は、当時のわたしに強く刻まれました。
そして、この状況を変えていくために必要な知恵と言葉を身につけたいという思いが、
その後の私の大きな原動力となりました。
福島原発で事故が起きても、わたしたちはまだ原発を完全に手放せていません。
この社会の構造を変えるための一歩をなかなか踏み出せないことに、
子どもの頃と同じ焦りを感じます。
 ただ、はっきりと分かるのは、私たちの選択と行動の一つひとつが、
この社会のあり方と密接につながっていることです。
「国政」というとあまりにも大きくて、私たち市民には手が届かないように思えますが、まずは身近な自分の地域について、考え、選択し行動することから
全ては始まるのではないでしょうか。

社会とは、一つひとつの行為、営みがあわさり、つくられたものです。
それぞれの地域で私たちが選択し、足元から行動することでしか、社会は動かせない。
そして、一つひとつの地域が変われば、社会も必ず変わっていく。
いまの私は、そう信じています。